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「首都大学東京の光と影」、「公立大学を「効率」大学にすべきか?」掲載される(都立大最近の動き番外編)

1月20日に都立大仏文出身内田樹氏の「内田樹の研究室」「首都大学東京の光と影」が、川瀬貴也氏(宗教学専攻)の「川瀬のみやこ物語 episode2」に「公立大学を「効率」大学にすべきか?」が掲載されていた。この2記事について紹介記事を書こうと思ったら、前者についてはすでに「首都大学東京の光と影」は、必読である!という記事をT先生が書かれていたのでそちらをご参照のこと。

とりあえず、強引に内容をまとめてしまうと内田氏は19日に都立大で行った「さよなら都立大仏文」と題した講演に関連して、西沢潤一首大学長と石原慎太郎都知事の文章への批判などを通して大学問題を論じる。そして次のように言っている。

私の予測では、首都大学東京は日本の高等教育史に残る劇的な失敗例となるであろうというものである。

川瀬氏の記事は「大学って、「効率」だけを求めて良いのだろうか。」という疑問ということになると思う。

ご両人の文章のみならず、そこからリンクが貼られているページ、コメント、トラックバックも参考になる。

川瀬氏の疑問については、この疑問を投げかける前に、まずこれを疑問として受け止めてもらえない社会の意識をどうにかしないといけないのだろうけれど、私の場合、じゃあどうしたら良いのだろうと悩んでしまう。
それに、たとえ結果として失敗例となっても、「効率」化できなくとも、彼らは大学を潰して「無駄を除いた」と自分の業績にしかねない。あるいは元から潰すつもりなのではないかとさえ最近思っている。

[1月25日付記]T先生のアドバイスを受けてお二人の記事にトラックバックすることにしました。

[1月25日付記その2]このブログの都立大関係記事は画面右側のカテゴリから「都立大 」を選べばまとめてみることができます。過去に投稿した記事も更新することがあり、その時は更新日を分かるようにするので良かったら見てやってください。ただし、ここにかかれている記事の内容は断片的な情報を全体像を承知していない人間が構成したものであり、一面的だったり不十分な面が多々あることをご了承ください。


全体的な経緯については、都立大の危機 FAQ 廃校 or 改革?3分で分かる東京都の大学破壊(2004年10月15日版)を参照してください

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「都立大」カテゴリの記事

コメント

さきに書いてしまい、すいませんでした。

自分は、クビ大のような内容の大学なら、別に巨額の税金を投入する必要がないのでは、と思うのですが、
こういうことを主張することが、都の「大学つぶし」という究極の狙いに合致するのなら、それもちょっと困るなぁ、と悩むことがあります。

投稿: T | 2005.01.24 01:31

そんな、謝っていただく必要はございません。あの記事では先生の著書の紹介など、参考になりました。


それこそ税金の無駄遣いという批判は免れなくなるので、さすがにすぐに大学を潰すような真似はしないと思います。でも、長生きできるような大学を作る気には見えないので、将来的には潰れてもかまわないと考えているのではないかと思ってしまうのです。

投稿: shig | 2005.01.24 21:42

ところで、こういう記事は、トラバしたらどうですか? 内田先生のサイトのアクセス数は、桁違いに多いので、Shigさんのところにも来訪者が増えると思います。
昨日、家には、内田サイトを経由して100人の来訪者があり、驚きました。

投稿: T | 2005.01.25 12:31

アドバイスありがとうございます。
たしかにおっしゃるとおりです。実はちょっと迷っていたのですが、背中を押していただいて助かりました。

投稿: shig | 2005.01.25 12:52

TBありがとうございます。
おっしゃる通り、

>川瀬氏の疑問については、この疑問を投げかける前に、まずこれを疑問として受け止めてもらえない社会の意識をどうにかしないといけないのだろう

と僕も思います。でも、向こうの物差しが「金を稼げるか」だけなんですから(ライヴドアの堀江君の考えも、至ってシンプルですよね。僕は全然与しませんが)、その単純すぎる「物差し」そのものを疑問視する、という古典的な手段しか、今のところ僕には思いつきませんし、またそういう機能を担うのが「人文学」の役割の一つだと思っています。まあ、だから人文学が嫌われるわけですが(笑)。

投稿: かわせ | 2005.01.25 16:43

かわせ様
わざわざコメントありがとうございます。もの凄くいい加減なまとめ方をして申し訳ありません。

私も仰るような役割が「人文学」にはあると思います(私がどこまでお考えを理解できているか心許ないのですが)。

でも同様の考えは、都立大の問題が持ち上がったとき(あるいはそれ以前から)にもさんざん主張されていたはずなのに、なかなか世の中には受け入れられなかったという現実を卒業生としてさんざん見せつけられまてきたのです。
たしかに単純すぎる「物差し」なのですが、それが支持される社会に対してどう対応したらいいのでしょうねえ。
そう簡単に答えを出さないのが「人文学」のあり方なのに変に答えを急いで求めようとしてしまいます。相手の術中にはまっているのかもしれません(苦笑)。
とりとめのない文章で失礼しました。

投稿: shig | 2005.01.25 21:32

フランスの教育では、「人文学」は、もっとも重視されていました。政治家も官僚も、並ならぬ文芸的教養の持ち主です。こういうものを潰すというのは、むこうでは、軽蔑されます。
Shigさんの言いたいのは、首都東京は、大衆社会であるので、こういうことがさほど軽蔑されない風潮があるのでは、ということでしょうか。
 石原文学は、ある意味、大衆文学ですからね。

投稿: T | 2005.01.25 22:55

考えながら記事やコメントを書いているので、すこしずつ論点がずれていってしまい、話がわかりにくくなっているかもしれません。ご容赦ください。

ともかく大衆社会だからだとは思っていません。そうだとすると、50年以上も都立大は存続できなかったはずです。

今これを昼休み中に書きながら思いついたのですが、「人文学」の必要性と、それを大学で研究することの必要性が結びついて考えられていないのかもしれません。

このことと、話が結びつくかどうかわからないのですが、ヨーロッパでは大学が近代国家の成立以前から存在していたので国家が大学に介入しにくいのに対して、日本では国家が大学を作ったので国家の介入を受けやすいのではないかという話を聞いたことがあります(少し記憶があいまいですが)。そういうことは関係あるのかもしれません。

投稿: shig | 2005.01.26 13:05

私の上のコメント、今読み返すと、恥ずかしいです。

さて、このブログにしては驚異的なアクセスを受けているときになんですが、ちょっとT先生への私信モードです。川瀬さんのページで尋ねられたことへの返答をここにしておきます(読まれるかどうか分かりませんが)。
こちらの記事でも触れましたが、24日の最終講義、私は3限の方に出ました。私ももしかしたら先生にお会いできるかと思ったのですが、分かりませんでした。もしかして、6限の方に出られたのですか?

投稿: shig | 2005.01.26 21:39

すごいアクセス数ですね。自分は、3限と6限の両方に出ていました。
看板を設置して良かったです。あまりお知らせしなかったのですが、看板をみて、来てみたという方も多くいました。
今度、大学にいらっしゃることがありましたら、自分のところにもお寄りください。
Shigさんのおっしゃりたいのは、大学の人文系の研究者が普段、産出するテクストと市民が教養のために接するテクストとの間には、ずれがあるということでしょうか?  
あと「大学の自治」のあり方は、ドイツ、フランス、イギリスとでは、かなり違います。またそれぞれの国でも、今日、大学の位置は、かつてと比べて厳しいものとなってもいます。 日本がそれらの国と比べて、どこに位置するか、というのは、なかなか難しい問いです。
簡単な概説として、潮木守一「世界の大学危機」中公新書があります。

思い出しましたが、最初、くび大の起案者たち(川勝平太など)は、ケンブリッジのような大学に都立大を改革したいと言っていましたね。あれは、どういう意味だったのでしょうか? 自分にも未だに謎です。  

投稿: T | 2005.01.26 23:13

 ヨーロッパの大学か・・・。イギリスの大学は、そもそも貴族のボンボンを教育する場ですよね。あくまでも、前提は金持ちを教育する場であった訳で、だから嗜みとしての古典を教える場でありアカデミアが発生した場所であるはずです。イギリスの伝統のある大学は、そのころからの遺産で大学を運営しています。(CambridgeのPenbroke collegeは資産が6500億円以上有り(もっとあったかもしれん)、その運用益が大学を底支えしています。それですら、夏は世界中から語学研修生を呼んで稼いでいますし。)アカデミアの場所として成り立つ前提が違うのに、何を抜かしているんだか・・・。いや、だから、くび大の趣旨に合うのか?(^^;;

投稿: うみゅ | 2005.01.27 17:36

T先生、うみゅさま、コメントありがとうございます。

T先生が3限にもいらしたのであれば、最終講義に出ていた知り合いの院生に尋ねればよかったです。あまり話をする時間の余裕がありませんでしたが。
たまに平日が休みになることがありますし、図書館で調べたいこともあるので、近々大学に行く機会があろうかと思います。その時にはご連絡します。

>大学の人文系の研究者が普段、産出するテクストと市民が教養のために接するテクスト
>との間には、ずれがあるということでしょうか?

そうですね。ずれ、あるいは時間や距離といえると思います。人文系に限りませんが、膨大な研究者のテクストが蓄積され、それがその時の必要に応じて教養として編集されるというようなイメージでしょうか。たとえば毎年のように歴史書の大型シリーズが刊行されているところをみると、歴史学の成果は必要とされているはずです。ただ、そうした歴史書ができあがるまでに蓄積された研究者のテクストがあまりに膨大すぎるために、個々の研究者の産出するテクストとの結びつきがみえにくく、意味がないように思われてしまうのではないかと考えるのですが、時間がかかった割にはたいしたお答えになっていませんね。


お二人の海外の大学事情についてのコメントは参考になりました。私もどこかで新大学はアメリカのどこかの大学(大学名は忘れました)を目指すというような話を聞いたことがあります。
それはともかく、国によって大学の基盤(アカデミアの場所として成り立つ前提)が違うということは忘れてはなりませんよね。当たり前といえば当たり前なのですが、こんな事態にでもならなければ、その意味を考えたりしませんでした。イギリスが国民の一部の金持ち相手とすることで大学が成立した(ちょっと間違った理解かも)のに対して、日本の場合は経済的な事情にそれほど左右されず多少の努力で誰でも入れるような大学になったのは、学生数を増やすことで個々の学生の負担を減らしたということでしょうか。これも思いつきですが。

投稿: shig | 2005.01.28 23:10

(文章が途中で切れしまいました。)。それが経済的に余裕のある層だけのものになりそうで、そうなった場合でも学問が成立しうるような社会に日本はなっていないように思えます。

投稿: shig | 2005.01.28 23:17

Shigさま

 卒業されてからも大学の図書館で研究されているとは、さすがですね。

 いつでもお気軽に。法学部の4Fに研究室があります。

 自分の簡単な考えは、昨晩、エントリしました。
 
 クビ大問題が、日本社会の特殊性の投影なのか、あるいは、都知事のキャラクターに依存する特殊な事例なのか、これは、難しい問題ですが、あまり極端にペシミズムに陥るのも、いかがかな、と考えています。

 それでは。

投稿: T | 2005.01.31 01:23

T先生

お忙しい中、コメントをありがとうございました。今日も休みになったのですが、大学とは別のところに行く予定が入ってしまいました.

それから新しいエントリは読ませていただきました。それからR30さんの反応も。後ほど改めて紹介記事を書くつもりです。

私の性格にペシミズムになりがちなところがあって、気を付けてはいたのですがそれが出てきてしまったようです。


投稿: shig | 2005.01.31 10:48

Shigさま

性格の問題ではないと思いますよ。
自分もそういう時期がありましたので。大学を失うのは、やっぱりつらいものです。
次のエントリ、ぜひR30さんにもトラバしてください。

投稿: T | 2005.01.31 12:51

Shigさま

性格の問題ではないと思いますよ。
自分もそういう時期がありましたので。大学を失うのは、やっぱりつらいものです。
次のエントリ、ぜひR30さんにもトラバしてください。 *あと自分のところにもね。

投稿: T | 2005.01.31 12:52

T先生、皆様

簡単なリンク集を作るつもりだったのにそれだけでも時間がかかって今日のところは投稿できません。

それぞれのページを一応きちんと目を通していたらタイムアウトとなりました。
ちなみにはじめて目を通したものでは並河氏の文章が参考になりました。

投稿: shig | 2005.01.31 23:28

ようやくできましたがココログのトラブルで投稿できません。もうしばらくお待ちを(待たせるほどの内容ではないですが)

投稿: shig | 2005.02.01 23:03

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